学びを強制されない空間で起こること

こんにちは!

 

「どこからでも目指したい場所に向かって、精一杯走れる環境を創る」を自分のモットーに掲げているワタナベです。今はスポーツ×教育で、その環境を創るべく、試行錯誤しながらツアーやセミナーを運営しています。

 

先日ご縁あり、都内のある中高一貫校の授業を拝見してきました。
120分ほどだったのですが、多くの学びがあり、自分が授業を見て感じ、そしてなぜそのようなことができるのかについて仮説を書き記したいと思います。学校の役割が変わりつつあることを肌で感じ、他者と共働する、ことについてのヒントが多く散りばめられていました。

 

ある授業で、子どもたちがチームになりパソコンを使って"興味のあること"についてまとめ、プレゼンをする準備をしていました。

 

まず驚いたのは、「離脱率の低さ」です。

一番少ない人数で3人のグループからなり、プロジェクトを進めています。

各グループにはパソコンが一台しかないため、パソコンをいじれる生徒以外は普通だと退屈し、離脱します。(自分自身でさえ、そうなってしまうと思います)

ただ、その中学生たちは、ほとんどの生徒が離脱することなく、

「この機能を使えばいいんじゃん?」

「もっとこうすれば、、」

などと横から自分の意見を述べ、楽しそうにプロジェクトを共に進めていました。

 

仮説

・机の形

豆型になっており、生徒同士の体が近い位置にある

このため、同じ目線でパソコンの画面を見ることができ議論しやすい

 

心理的安全性の高さ

→自分の意見を言う、が当たり前になっている環境

「プロジェクトを成功させる」ことを第一目的としておき、

自ら積極的に友人の意見を聞き、述べることが当たり前とされている空間ができている

 

・自己責任文化

→先生の姿勢

先生はいつまでに提出するか、こんな形でプレゼンをしたらより多くの人に刺さるのではないか、などといったことしか言いません。たとえ、大きな声を出して騒ぐ生徒がいても知らんぷりです。いろんな学校で見られる、「黙りなさい」などと言うことや、外に連れ出すことなど一切しません。

良いと思うかもしれませんが、実はとても厳しいことだと思います。

生徒たち自身で、折り合いをつけ、そして締め切りまでに自分たちでたどり着かなくてはいけないということを無言で示しているからです。

(おそらくこの状態をつくることができるのは、何度もプロジェクトに必要な思考体系などに知識を学び、実践することによる成功体験の積み重ねによる自信と、何より先生の生徒一人一人への信頼があるからだと思います)

 

 

 

そして、中学生の授業が終わり高校生と話した時、本質的思考力の高さがずば抜けて高いことも分かりました。以下に印象的なエピソードを2つ載せておきます。

 

1.ある生徒が英語の問題を解いており、「どんな授業なの?」「今君は何をしているの?」(プリントに書き込んでいた)と質問したところ、

 

TOEFLの問題を解いている。ただ丸付けをするだけでは、本当にわかって丸なのか、わからなくて適当にして丸なのかわからない。だから解説を読みながら、自分で言語化し、仲間とシェアしあうことでお互いの学びを深めているのだ。

との答えが返ってきました。

 

先生を絶対的な存在と置き、何となく勉強するのではなく、

自分自身が納得して「彼の内から出てくるエネルギー」が彼を勉強に向かわせているのだ、と気づきました。

 

2.休憩中の生徒に、 「あなたにとって学校とは??」と質問したところ、

・価値観が違う人間同士でうまく生活することを学ぶ場所

・多様性に触れる場所

・自分と向き合える場所

 

である、との答えが返ってきました。

もう学校は、先生が生徒にわからないところを一方的に教える場所ではなく

 

"人と人との温度を感じ、時にはすれ違いながらも共に分かち合いながら

生きて行く"

 

これからの予測不能な社会を生き抜くための「答えのない問い」を考える場所になって行くのではないかとその生徒の楽しそうな顔を見て思いました。

 

プロジェクト型学習、という言葉が出てきて、様々な学校で実践されていると思いますが、「自分」と「他者」との距離を感じながら改めて「自分」について考える。その上で、共同してプロジェクトを進めて行く、先の読めない未来を他者と共に想像して行くヒントがたくさん詰まっていた120分でした。